読み書きのつまずきに、親が気づけないのは「当たり前」——「勉強嫌い」の裏で起きていること
「勉強が嫌い」「学校に行きたくない」。 子どもの口から出てくるのは、たいていこの言葉だけです。理由を聞いても「めんどくさい」「つまらない」。それ以上は出てきません。 この言葉だけを受け取ると、やる気の問題、性格の問題に見えます。けれど、その裏に 読み書きそのもののつまずき が隠れていることがあります。そして多くの場合、親がそれに気づけないまま時間が過ぎていきます。 先に結論を言うと、 気づけないのは親の落ち度ではありません 。家庭から見えない場所でつまずきが起きる構造になっているからです。この記事では、訪問支援の現場で子どもと関わっている言語聴覚士の視点から、「なぜ気づけないのか」と「家庭のどこを見ればいいのか」を整理します。 「勉強が嫌い」は、子どもが出せる精一杯の言葉 小学生の子どもは、自分の困りごとを説明する言葉をまだ持っていません。 「文字を読むとき、行を追うだけで人の何倍も力がいる」「書こうとすると形が思い出せなくて手が止まる」——そんなふうに自分を説明できる子は、まずいません。本人にとっては生まれてからずっとその状態なので、「みんなも同じくらい大変」だと思っていることさえあります。 そのため、子どもから出てくる言葉は「嫌い」「めんどくさい」「行きたくない」に丸められます。 つまずきの中身は、本人の言葉としては出てこない 。これが出発点です。 保護者の方と話していても、最初に出てくるのはほとんどが「勉強が嫌いみたいで」「学校が嫌なようで」という言葉です。読み書きの話が最初から出てくることは、まずありません。 親が気づけない3つの構造 授業中の姿は、家庭からは見えない 読み書きのつまずきが一番はっきり表れるのは授業中です。音読の順番が回ってくるとき、黒板を写すとき、テストで問題文を読むとき。ところが親はその場面を見ることができません。見えるのは家に帰ってきた後の姿だけです。 授業参観で初めて「あれ、うちの子だけ書き終わってない」と違和感を持った、という話は珍しくありません。年に数回のその機会まで、確認する手段がそもそもないのです。 宿題は「ごまかし」がきく 家庭で唯一学習が見える場面は宿題ですが、宿題は意外と実態を隠せます。音読カードはサインだけもらう、漢字練習はお手本を一画ずつ写して「作業」としてこな...